イケダリョウの日記

今年は頑張って更新していこうと思います

弱くても卑怯でも大丈夫。 | 大江健三郎『個人的な体験』

大江健三郎『個人的な体験』は、筆者自身の体験に基づいて書かれた小説である。大江の長男である大江光は脳ヘルニアを患って生まれてきた。そして、誕生後まもなく大江はこの作品を書き上げることになる。

 

 

主人公は脳ヘルニアを患う子どもの誕生に大いに振り回されてしまう。彼にとって障がいを持った子どもの誕生は、彼の夢であるアフリカ旅行の実現を妨げる何者でもない。

あなたは私のことも赤んぼうのことも、本気になって考えたことはないんじゃないの?鳥(バード)。あなたが本気になって考えているのは、自分自身についてだけなのじゃない?

主人公"鳥(バード)"は精神的に未熟な存在として描かれる。障がい児の親となる責任から逃避しようとする彼は葛藤の末、医師を介して間接的に自分の子どもを殺害することを決意する。彼のアフリカ旅行の夢は手の届くところまで迫っていた。

が、突然主人公は心変わりをする。医師から子どもを取り返し責任を持って育てるというのだ。

子どもを取り返した”鳥”を唐突なハッピーエンドが包み込む。

 

 

たしかにクライマックスの主人公の変わりようは解せない。この最後の結末に関して発表当時も批判の嵐だったらしい。それはそうである。僕自身読んでいて”鳥”はどうやって弱い自分と折り合いをつけるのか、その顛末に非常に興味を惹かれていたからだ。むしろその顛末が知りたくて、どうやって主人公が葛藤を乗り越えるのか(もしくは乗り越えないか)を期待していた。その期待はあっさりと裏切られてしまうことになる。

 

とはいえ、大江が本作を無理矢理にでもハッピーエンドにしたことには必ず理由があるはずなのだ。それはつまり、どんなに卑屈になってもどんなに逃げ出そうとしても「自分」は見ているということである。真っ当に生きようと葛藤を続けている。それが人間であり、弱さや葛藤を抱えながらでも生きる一つの希望なのかもしれない。